なぜ数学は嫌われるのか(第2回)
具体例からの抽象化
数学というのは、その名の通り「数を扱う学問」である。
だから人はこう思うであろう。
「数字が計算できれば大丈夫でしょ!」
と。ところがこれが大きな勘違いである。
数学で扱うものはまぁ文字ばかり…。
くらいならまだしも、
というような数式なんて書かれても、何が書いてあるかいきなりわかる人はいない。
大学で数学を勉強する場合は、もはや英語の授業かと思うレベルのアルファベット・ギリシャ文字の出現率である。(笑)
代数学で扱う一つの例を挙げてみよう。
集合が群であるとは、2項演算が定義されており、次の条件①〜③を満たす時をいう。
①任意のに対して、
②あるが存在して、任意のに対して、
③任意のに対して、あるが存在して、
群の例
(1) 自然数全体の集合は通常の加法に関して可換群となる。
(2) 実数成分の次正方行列全体の集合は加法に関しては可換群となるが、乗法に関しては非可換群である。
上の例は主に数字や行列のことを言っているのだが、一切数字は出てこない…。
余談だが、私は大学で「代数学」という講義を受けたが、最初はやっと計算だけで解決できるのか!と思っていたが、見事に期待は裏切られた。書くことは毎回アルファベットかギリシャ文字。が出てこようもんなら、数字が出てきたと喜びすぎて踊り出しそうなレベルである。
数字が出現するわけではないので、計算が目標と合わない場合は間違った箇所を確認の術がない。(少し誇張したが、実際に何度計算しても合わないという負のスパイラルに陥りがちである。)
何でこんなにも具体的な数字が使われず、文字ばかりなのだろうか?
具体例がたくさんあればいいではないか、という意見があるのはごもっともで、我々が日常で使うとすれば具体例に合わせて問題を解いていけば良い。
しかし、式が変わっただけでまた同じ計算をして性質を確認するなんて面倒極まりない。
「たくさんある具体例を取りまとめ1つの形に体系化することで、幅広い分野に応用する」
これが数学のスタンスであり、様々な分野の発展に寄与してきた原因であろう。
共通した文字や記号を使うことですべての具体例を網羅し、一つの表現で完結する。即ち「抽象化」するわけである。
確かに抽象化した方が汎用性は非常に高い。
しかし、これが数学が嫌われる原因の一つとなっているのではないか。
本来は具体例から抽象化された体系を考えるべきなのだが、現在の数学はいきなり抽象化された体系を定義され、ひたすらに抽象的な話をしたあとで、「はい!じゃあ具体例はこれです!」と言われる。
いくら勉強している私でもポカーンとなる。(笑)
あまり数学に触れ合ったことがない人は、もはや思考停止してしまうはずだ。
幸いにして、高校数学は具体例が多く、「具体例→抽象化」という流れが多いため比較的説明は簡単であり、理解しやすい理論も多い。
とはいえ、理解できないことが多いことも事実。
(つい昨日までテストの採点をしていたので特に実感している。)
数学嫌いの原因は「抽象的である」だけではなさそうだ。
難しすぎる話を書いてしまった。
第3回へ続く。