なぜ数学は嫌われるのか(第5回)
「数学=自然科学の言語」という認識
使うことで勝手に身につく言語
日本語や英語というと「言語」と認識されている。
おはよう! = Good morning!
といったように音声化できるものは言語とされるだろう。
私は自然と日本語を話している。英語はどうしても話すのは苦手である。
それは、赤ん坊の頃から日本語に触れ、日本語で話しかけられ、覚えた音を言っていたからである。
別に赤ん坊の頃から教科書を開いて、『「おはよう」というのは朝の挨拶です』と学習することはない。
普段から使っていることで勝手に習得できている。
しかし、英語やその他の外国語は自然に話すことはできない。
中学校から勉強したからといって、日本語のようにペラペラと話せる人は少ない。
むしろ、勉強するよりも留学して現地の人々と話をしている方が話せるようになることが多い。
日本語の方言でも同じようなことが言える。(私の経験則)
このような言語は使えば使うほど身についていき、無意識で学んでいる。
練習しなければ身につかない言語
数学は一般的に言語とは言われないし、「数学は数学だ」という人がほとんどであろう。
ご承知の通り、数学は「〇〇はこのように発音します」なんて音声化されるわけではない。ひたすらに文章や数式で書かれるだけである。例えば、
と書かれても、1つ1つの式の意味が理解できていなければ言っていることが理解できない。
日本語や英語で言えば、単語がわからなければ話していることがわからないのと同じ。
逆に、式の意味がきちんと理解できていれば上の数式の言わんとすることも理解できる。
*上の式はRiemann積分の定義に具体例を当てはめたもの。高校では「区分求積法」(数学Ⅲ)と言われている。
数学は自然現象を記述する言語
数学の発展とともに物理学が発展してきたことは以前の記事でも書いたことである。
自然現象は音声化することができない。
ではどのようにその現象を伝えれば良いのだろうか。
ここで威力を発揮するのが数学である。
数式で表し、各々の文字や数字に意味を持たせればその現象の特徴を捉えることができる。
例えば、家庭でも用いられている交流電流について簡単に記述してみよう。
交流電流波形は、振幅、角周波数、時刻とすれば
と表される。
三角関数をきちんと理解していれば、交流電流が周期関数で表され、直流電流とは波形が異なり特徴も異なることは容易に予想できる。これを普段の言語で正確に記述・説明しようとするのはほぼ不可能である。
*「直流電流はずーっと電圧が変わらなくて、交流電流は電圧が時間で変わるんだよ!」と言っても、どのように変わるのか、どの時間でどのような電圧なのかは一切理解できない。むしろ言葉で説明した方がわかりづらい!
結論。
(理解しているか否かは置いといて)自然現象は数式で書けば一発で相手に伝わる。
日本語などは「音声化・人間同士のコミュニケーションで必要な言語」
数学は「現象を記述する言語」
役割は違えど、何かを伝える手段であることには間違いない。
言語は練習・訓練しなければ身につかない。
数学も言語なので、訓練しなければ何もできない。
しかも、普通の言語と違い「あっ!伝わった!」というのがなかなか実感できないのが数学である。
この実感がわかないこと。数学が嫌われる原因の1つのような気がする。
そろそろこのシリーズも完結に向かっていかなければ…。
第6回に続く。