なぜ数学は嫌われるのか(第3回)
物理学と数学の協調
数学の発展とともに大きな発展を遂げてきたのは物理学である。
Newtonは「りんごは落ちる」のを見て万有引力の存在を発見したと言われているが、「りんごが落ちる」ということをどのように「力(Force)」と関連させて説明したのかは私にとって疑問である。
*「りんごにはたらいている力が月や惑星にも同様にはたらいているのではないか?」という疑問が万有引力発見の原点のようだ。私も調べただけなので定かではないのだが…。
この力の存在をどのように記述するのか。使うのは数式。
2つの物体の質量を、とし、この物体間の距離をとすると、万有引力は
と表される。ここで、は万有引力定数でである。
数学的解釈に落とし込めば、これまで数学界で確立された理論を利用することができ、しかもその正しさまでも保証してくれる。
さらに言えば、物理学が発展することで数学も発展する。物理学からの要請があれば解決に向けて理論を構築し、正しいか否かを判断することになる。
そういう意味では、数学と物理学は持ちつ持たれつの関係なのである。
*ただ、物理学は数学より厳密ではないこともたくさんある。『「これは微小量だから無視したとすると…」なんてことは物理学では日常茶飯事だ!』と知り合いの物理学者は言っていた。数学者からすれば無視できないだろ!と言いたくなるわけだが、物理屋さんはその点広い心があるのだろう。逆に数学者は厳密にしすぎて頭が固いのかもしれない。
さて、話がだいぶ難しくなってきたので高校数学に戻ろう。
高校数学と高校物理は密接な関係があることを理系は知ることになる。(理解しているかどうかは別。)
例えば、物理でいう「仕事」について。
ある物体に一定の力でその力の方向にだけ移動させたとき、仕事は
と表される。もし力の方向と進行方向が異なるときは、その間の角をとすると
と表せる。(力の進行方向成分はである。)
この式!数学で言い換えると「との(標準)内積」である!
数学Bにある「ベクトル」の内容そのものなのです。
数学ではどうしても計算にとらわれてしまうが、物理の視点から見るとより現実的。
*内積を幾何学的な意味で捉えれば、2つの量の(符号付き)面積であると言える。
少しずつではあるが高校でも数学と物理の関連が登場する。
しかしながら、どうしても「数学は数学」「物理は物理」と生徒は捉えがちであるが、物事を理解しようとするときには必ず関連付けが必要である。
物事は点と点を線で結ばなければ無意味
と言われるのも納得できる。
大抵の場合は、とりあえず点(=ある事柄)を何個も覚えていって何年も経ち、ふとしたときに「えっ!?こういうことだったの!?」となるものである。特に思いもよらないものが繋がったときは感動である。
しかし、その点を覚える作業でも「Bが発生したのはAが原因だ」というように、細かく見れば点と点を結んでいるのである。その作業の積み重ねが予想もできない感動と巡り会わせる。
この「点と点を結ぶ作業」の訓練が数学なのではないかと最近思うようになった。
今回は嫌われる要素はなかったようなのだが…(笑)
次回はこの内容から。
第4回に続く。